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「佐々木、ご苦労だったね。お茶でも飲んでいけば?」
「お茶でしたら、アッシが」
「そっか、悪いね。じゃあ頼む。急須と湯飲みとそこだ。葉はそこにある。宇治にしてくれ」

本宅と違い、勝手の分からないキッチンで、佐々木が湯を沸かし、黒瀬と自分の分の茶を淹れる。
キッチンの椅子に座り、黒瀬が携帯を弄り始めた。

「もしもし、時枝か? …兄さん? まだ外出中ですか?何で時枝の携帯にあなたが出るのですか……そうですか。じゃあ、明日になりますね。あ、そうそう、時枝が捕まらなかったので、佐々木を借りてますから。頼み事をしましたので。ええ、あなたが断りもなく時枝を連れ出してくれましたので。…わかりました。佐々木にもそう伝えておきます。明日には時枝返して下さいよ。色々と不便ですから……。じゃあ、楽しい夜を」

湯飲みに茶を注ぎ終わった佐々木が蒼白な顔で黒瀬を見ている。

「ご自分で、バラされたのですか?」
「何を? 本宅を出たことか?」
「ええ、そんな内容だったと…」
「盗み聞き?」
「滅相もございませんっ」
「冗談だよ。本宅を抜けたことは伝えてない。わざわざ言う必要はないだろう? 佐々木は借りたとは言ってあるけど。ま、先に言ってあるから、そこまでの咎めはないんじゃない?」
気を利かせてワンクッション入れてくれたつもりなのだろうか?
「あの、組長はまだ、出先でしょうか?」
「そう、ビクビクするな。兄さんと時枝は朝まで戻らないらしい。正確には戻れないんだけどね」
「そりゃ、また、どうして」
「情けないけど、時枝が酔いつぶれたらしい。あの男は酒は強いと思ったが…。ダラしないな。だから今夜一晩兄さんにバレることはないから、いい夢が見れるよ。ふふ、明日は分からないけど」

アッシの命も明朝までか…。
今日でも明日でも、組長の怒りを買うことには変わりはないと、佐々木の肩がガクリと落ちた。

「お茶が冷めるから、飲んだら?」

気のせいだろうか?
ボンはアッシにこれから降り注ぐであろう災難を、楽しんでおられるように、感じられるのだが…。

「頂きます」
「佐々木、桐生組の幹部にしては、腹が据わってないよね」
「ボンっ、イヤ、武史さまっ、それはいくら何でも言い過ぎです! アッシだって、いざとなれば、命ぐらい組の為に投げ出す覚悟はありますっ」
「ふ~ん、なのに、こんな小さなことでビクついているんだ。さっきから顔色がクルクル変わってカメレオンみたいだよ」
「…、それは…」

確かに組の存続にかかわるような大事をやらかしたわけじゃない。
もしかしたら、組長もアッシの事情も察してくれるかも……ああ「事情」が、ない…。
ただ断れなかっただけだ。
黒瀬に小さなことと言われ、無理矢理ポジティブシンキングに持っていこうとしたが、逆に言い逃れができないことを思い知らされた。
脅されたわけではない。
結局自分が弱くて、いいなりになっただけじゃないのか、と、四十過ぎの強面ヤクザは猛省した。

「そんな顔するな。まるで俺が佐々木を苛めているみたいじゃない? ふふ、もう解放してあげるから、時枝に言付けしてくれる?」

はい、と佐々木が頷き茶を啜る。

「少し待てよ…えっと」

黒瀬がメモ帳を取りだし、何やらペンで記した。

「これに書かれたものを明日買ってくるように言ってくれ。あ、兄さんにバレる前に接触した方がいいかも。ほら、佐々木の状況次第では、時枝と話せないかもしれないだろ?」

それって、暗にアッシの身が危ないと言ってやしないか?

「いろいろ、世話になった。もう行っていいから。潤とこれでやっと二人きりになれる。あのまま本宅にいたら潤も気を遣うだろうし、兄さんが邪魔しに来たかもしれないし。きっと潤も佐々木には感謝していると思う。佐々木は俺たちの救世主だ。だから、誇りを持って明日兄さんと対峙して」

最後にツボを外さないのが黒瀬の狡いところだ。単純な佐々木が何に弱いかを知り尽くしている。

「そんな…、アッシがお二人の救世主ですか…。はいっ、後のことはアッシが責任を持って、始末しますので、ご安心を」

今の今まで組長を裏切ってしまった自分の行動を悔い、組長の怒りを測ってビクついていたというのに、黒瀬の見送りの言葉で、悪漢に囚われた恋人同士を救出した、正義の味方に自分を置き換えていた。
そう、佐々木は恋愛映画で涙する男なのだ。
単細胞で良かった、とエレベーターに乗り込む佐々木の背筋の伸びた後ろ姿を見て黒瀬は思った。
さぁ、潤に水を持っていってやろう。
自分のテリトリーで二人っきりに慣れたことに、顔が緩むのを押さえきれない黒瀬だった。