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ったく、何なんだ、あの二人は。
いくら相思相愛になったからって限度があるだろ!
片やクロセの代表で、片やちゃんと成人した大学生じゃないのか?
大人の常識っていうものがあるだろうが!  
機内だぞ!  
飛行機の中だぞ!  
公共の場だぞ!  
それをこともあろうか、ヒースローから成田に着くまで何回、乳繰りあってるんだ?  
いや、この表現は男女間限定かもしれない。 
じゃあ、なんて言えばいい?  
怒りと羞恥で脳みそがちゃんと回転してない!  
表現なんてこの際構うものか!  
俺が制止しなかったら、間違いなくあいつら、機内で結合してたぞ!?  
いくらビジネスのシートが航空会社一押しの最新型でベッドのようになるからって、一つのシートに二人で寄り添って寝るか?  
変な声が洩れる度に俺が空咳して誤魔化していたんだぞ?  
おかげで喉がボロボロだ。 
毛布の二枚も駄目にしやがって、いくら高い金払っているからって、精液で汚していいってもんじゃないだろ!  
他の客の好奇心の視線がどれだけ集まっていたんだと思うんだ?  
搭乗したときに、派手にラブシーンを繰り広げるから、皆興味津々だったじゃないか!  
乗務員に気付かれないようにヤってたつもりだろうけど、二人一緒に一つのシートに収まったときから、怪しまれてたっていうんだよ。 

はぁ…。 

飛行機から放り出されてもおかしくないことやってた自覚はあるのか?  
暴力行為じゃないけども、どこかの空港に臨時着陸して、降ろされていたかもしれないんだぞ? 
はぁ…しかもまだイチャついてやがる。  

輸入販売・金融不動産を取り扱うクロセグループのトップ、黒瀬武史(くろせたけし)の秘書になって八年、時枝勝貴(ときえだかつき)は自分の人生の選択が、もしかしたら間違っていたのかもしれないと後悔していた。 
今までどんな難しく困難な状況でも、自分より三才年下の黒瀬と共に突き進む人生も悪くないと思っていたし、彼を見守ること、導いていくことが自分の使命とさえ思っていた。  

――しかし、

「黒瀬、」
「どうした?」
「時枝さんの頭から湯気出てる…」
「熱でもあるんじゃない? あいつは丈夫だから気にしなくていいよ。それより、潤…」 

チュッ、

「ぁあん、バカ…」 

チュッ、 

自分の背後から聞こえる妖しい水音と声に時枝の脳内で、ブチッと音がした。 

「もう、いい加減にして下さい。ここをどこだと思っているんですか?」
「日本」
「空港の入国審査待ちの列です。男同士でイチャついてよい場所ではありません!」
「却下」
「なんです? その却下って!」
「そんな偏見に満ちた心の狭い男の言うことに耳を傾ける気はない。ね、潤」 

時枝の言葉を素直に聞く気はないらしい。 
注意された男、黒瀬武史は、一二時間前に紆余曲折を経てやっと想いが通じ合ったばかりの最愛の恋人、市ノ瀬潤に同意を求めた。

「時枝さんの口から、男同士だから…なんてこと聞くなんて、ショック。味方じゃなかったんだ…」
「ほらみろ、潤もそう言ってるだろ」 

更にブチッ、ブチッと音が鳴る。

「申し訳ございません。私が間違っておりました」 

軽く頭を下げた後、時枝が深く息を吸い込んだ。 
―――そして、

「言い直します! ここは、入国審査を待つ列です。女同士でも、男女でも、男同士でも、変態同士でも、恥知らずなモノ同士でも、イチャついてよい場所ではありません!」

 時枝の大声がその場に轟いた。

「…時枝? お前もしかして、始まっちゃった?」
「何がです?」 

黒瀬の問いに時枝がけんか腰で受ける。

「生理」
「…は?」
「しょうがないよね。その間は苛つく事もあるし他人にあたりたくもなるだろう。それはお前のせいじゃないから、気にしなくていい」
「…月に一度訪れるアレのことですか?」 

まさかな。 俺はどこからどう見ても男だし…

「他に何がある? ちなみに、今この場で一番痴態を晒しているのは、私と潤じゃなくて時枝だからね」 

その言葉で冷静になった時枝が、自分が大声で周囲の視線を一気に集めてしまったことを悟った。  
痛い。 視線が痛い。
審査官までもチラチラこちらを見ている。 
穴があったら入りたいって、こういう状況のことだ、と時枝の顔が朱に染まる。 
更に追い打ちを掛けるように、黒瀬が続けた。

「ちなみに、ここは大声を出して喚いて良い場所でもないと思うけど、ね、潤」 

潤は腹を抱えて笑っていた。

 「時枝っさんがっ、ヒッ、生理ってっ…あぁもう駄目っ、可笑しすぎて、ヒッ、死にそうっ」 

人の恋路を邪魔するなってことなのか? 
恋をすれば何しても許されるッてことじゃないはずだ!  
…酷すぎるっ!  俺の人生酷すぎるっ!  
これが恋のキューピットに対する仕打ちか?  

駄目だ俺、終わってる。 
キューピットという可愛い言葉が浮かぶ時点でもう脳が崩壊し始めている。 
二人を注意するところまでは、社会人として、また上司の至らぬ行いを軌道修正する部下の行為として、何ら落ち度もなかった。 
ただ、時枝は疲れていた。 
クリスマスイブからこの丸二日、不眠不休でこの二人のフォローにまわっていたのだ。 
ゆっくりと寝るつもりだった機内でも、二人の常識外の行動で結局一睡もできなかった。  
疲れていて当然だ。 
その結果一瞬冷静さを失ったからといって、誰が彼を責められよう? 
時枝勝貴、沈着冷静・クールが売りの三三才。 
端正な顔の割りに年より老けて見えるのは、きっと苦労が絶えないからであろう。 
彼の受難は当然、まだまだ続くのであった。