「なあ黒瀬、本当に俺お前のところに行っていいの? 突然だし、迷惑じゃない?」
「潤は私と居るのが嫌なの? 一緒に正月を迎えたい人間が他にいる?」
「ばあちゃん以外いないけど」「だったら、連絡入れればいい。大学の冬休み中、東京(こっち)に居てもいいだろう? 無理?」
空港のロビーで、市ノ瀬潤、黒瀬武史、そして時枝勝貴が立ち止まっていた。
福岡で暮らしている潤は当然のことながら、ここから飛行機を乗り継ぐか、または新幹線かで博多まで戻らないとならない。
只今、潤が取り敢えずこれからどうするのかを相談中なのだ。
約三週間前、ここ成田ではなく、関西空港からイギリス行きの便に乗り合わせた飛行機恐怖症の大学生市ノ瀬潤(当時二一才)と、株式会社クロセの社長・黒瀬武史、そしてその秘書、時枝勝貴。
黒瀬の興味を惹いたが為に、イギリスで潤は言葉に出来ないほど酷い目に遭った。
黒瀬の恋人と誤解され、拉致監禁のうえ、秘密裏に行われている非合法のオークションに性玩具として出品された潤。
黒瀬と時枝によって救出されたものの、今度は黒瀬から無理矢理犯され彼の所有物としての過酷な数日を過ごした。
黒瀬の真意を測りきれず、黒瀬の元を逃げ出した潤が、時枝の策略により黒瀬と想いが通じあったのが、先程降りた飛行機に搭乗してからだった。
潤と黒瀬の二人が晴れて恋人同士になれてから、まだ一三時間しか経ってなかった。
時枝の演出により、黒瀬を死んだと思っていた潤と、潤の為に身を引くつもりであった黒瀬。
劇的な再会を機内で果たし、時枝を呆れさせるラブシーンをこれまた機内で繰り広げ、更に成田に降り立ってからも、人目を気にすることもなく、バカップルぶりを披露し、時枝に疲労を絶え間なく与え続けている二人であった。
「無理じゃないけど…」
という潤の顔は嬉しそうだった。
十分イチャついているように周囲からは見えるのに、潤としては、人目のないところで黒瀬と二人っきりでゆっくりしたかったのだ。
それは、黒瀬も同じで、二人っきりになったら、アレもしよう、コレもしようと、妄想が脳内半分を占めていた。
「じゃあ、決まりだね」
二人のやりとりを黙って背中で聞いていた時枝が、二人に振り返った。
「社長、あなた今日今から本宅です。先程本宅から携帯にメールが。もう、そろそろ迎えが到着すると思います。市ノ瀬さまもご一緒でよろしいんですね?」
時枝の言葉に、黒瀬の顔が一瞬引き攣った。
「俺は何も聞いてない」
「そりゃ、あなたに伝えたら、逃げると思ったからでしょ。あちらも市ノ瀬さまにお会いしたいようですし……。これから先のこともありますし、年末年始はあちらで過ごす事になると思います」
何だ、本宅って?
黒瀬の家に行くんじゃないの?
黒瀬の顔付きが変わったことで、潤に不安が込み上げてきた。
どういうこと? と黒瀬を見上げた。
「しょうがないね。本宅からの誘いだと逃げる訳にも行かないし…。イギリスでの一件もあるし」
「黒瀬の所に行くんじゃないの?
「潤、数日だけ私に付き合って。かなり驚くと思うけど……。大丈夫、私が付いているから、潤に怖い思いはさせない。部屋は離れを取ってもらうし」
怖い思い?
「みろ、潤が不安がってるだろ」
黒瀬が時枝を睨み付けた。
「だったら、市ノ瀬さまをこのまま福岡に帰しますか? 手続きしてきますけど」
「そんなこと出来るわけないだろ。潤、私と一緒に居たいよね?」
「…居たい…」
何か嫌な予感もしないでもないが、今ここで別れたら、いつまた会えるか解らない。
潤は不安があるものの少しでも黒瀬と共に過ごせる方を選択した。
「じゃあ、決まりですね。えーっと、そろそろ迎えが……あっ、あそこに」
カラス?
黒い集団が固まってこちらにやってくる。
よく見ると、黒いスーツに身を包んだ男達の集団だった。
「ホント、趣味悪い奴らだよね~。幼稚園児じゃあるまいし、揃いも揃って黒に身を包まなくても…。面だけで十分普通じゃないのにね」
何なんだ!
何で強面の黒集団がこちらに来るんだ?
知らないうちに、黒瀬の腕に潤はしがみついていた。
「潤、大丈夫。アレ本宅からの迎えだから。怖いのは顔だけだし」
そんなこと言われても、こんな怖そうな集団、任侠映画の中でしか見たことないっ。
えっ?
任侠…ヤクザ映画?
ヤ、ク、ザ? えぇーっ? ま、まさか?
潤の頭の中で、凄い速度で解析が行われた。
辿り着いた答えは一つ。
あの集団は、ヤの付く職業の方々だということだった。
数秒後、それが間違いではないことが判明した。
「ボン、お久しぶりです。組長の命で、お迎えにあがりました」
黒集団の先頭を切って歩いていた男が、潤達の所まで来ると、深々と黒瀬に頭を下げた。
「佐々木、殺すよ? その呼び方は禁止のはずだったが? もう忘れちゃった?」
「も、申し訳ございません! つ、つい、癖で…」
どう見ても黒瀬より十歳は上だろうという男が、額に汗を浮かべ黒瀬の冷たい視線に狼狽えている。
左目の横に、五センチ位の傷跡が縦に走っており、どう贔屓目に解釈してもヤの付く御職業にしか見えない男が恐縮している姿は滑稽だ。
「佐々木さん、ご苦労様です。彼が市ノ瀬潤さまです。一緒に本宅までお願い致します」
時枝が潤を紹介した。
佐々木という男と、その後ろに控えていた十数名いると思われる『黒』が、一斉に潤を見た。
揃いも揃って目つきの悪い男達に眼を飛ばされ、潤の黒瀬にしがみつく手に力が入る。
「佐々木も他の者達もスマイル。潤が怯えてるじゃないか。普通にしてても悪趣味な顔なんだから、潤の前では意識して笑顔で通してよね。判っていると思うけど、これお願いじゃないよ?」
「は、はい、ボン、じゃなかった、武史さま。ほら、皆笑顔だ!」
佐々木のかけ声で以下全員が引き攣った笑顔になる。
あまりに不気味でおぞましい光景に、潤の緊張はほぐれ、思わず笑ってしまった。
「改めまして。市ノ瀬さま、初めまして。佐々木修治と申します。長旅ご苦労さまでした
「頭を上げて下さい。俺の方が年下なんだから。初めまして、市ノ瀬潤です。いまいち事情が飲み込めていませんが……お世話になります」
取り敢えず、潤も自己紹介をした。
「そろそろ移動しません? 我々は注目の的のようですから」
空港の到着ロビーに人が群がるのは普通のことだが、このカラスの集団が陣取っているのは 普通じゃない。
怖いモノ見たさなのか、皆遠巻きにこちらの様子を窺っている。
時枝の一言で潤達ご一行は、空港を後にした。