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「お疲れのところ申し訳ございませんが、組長がお呼びです。市ノ瀬さまもご一緒に」
「やれやれ、あの人は相変わらず、自分の都合を押しつけるんだね。もっとゆっくりさせてくれてもいいと思うんだけど」
 
佐々木が、潤と黒瀬を呼びに来た。
潤が連れて来られた『本宅』は、緑に囲まれた純和風建築の高級旅館を思わせる広い平屋だった。
門構えも立派で、表札は「桐生」となっていた。
母屋とは別に離れがあり、佐々木と時枝は母屋へと消え、潤は黒瀬に連れられて、直接離れに入った。母屋と離れは行き来できるよう廊下で繋がっているらしい。
離れに入るまで、黒集団以外の人間と会うということもなく、手入れの行き届いた庭園を見ながら、潤は黒瀬の後を付いていった。

「すげぇ、これ家?」
「びっくりした? ちょっと広いけど、普通の家だよ」
 
普通って、これがか?

「別に、幽霊が住んでる訳でもないし、ただ広いだけの退屈な造りだ」
「ふ~ん、でも畳っていいよなぁ…」
 
和室の畳に潤が大の字で寝転がる。

「あぁあああ、日本だ――…」
 
本当に帰国したんだと、潤は実感していた。半分イギリス人の血が流れているとしても、やはり自分は根っからの日本人だと改めて思う。 
ホッとする。
帰って来たんだ……帰れたんだ……

「潤?」
 
大の字になったまま、潤んだ目になった潤を横から黒瀬が覗き込む。

「へへ、嬉しいなぁ、って思って。ほら、俺、もう戻れないかもしれないって思ってたから」
「私も嬉しいよ。潤と一緒に帰国できて」
 
黒瀬の手が潤の目から溢れたばかりの雫を拭う。

「黒瀬、あの時俺を落札してくれてありがとう…ごめんな、高い買い物させてしまって。黒瀬が助け出してくれなかったら、俺、今頃………っ‥」
「安い買い物だったよ。だから、泣かないで」
「嬉しくても、涙って出るんだよ。二人きりだから、いいだろ?」
「じゃあ、私がその涙を拭き取ってあげるから、泣いてていいよ」
 
黒瀬が前屈みになり、潤の頬に唇を這わす。
涙を舐めとり、そして、潤の唇と重なった。
そのまま、ゆっくりと黒瀬が身体を潤の上に重ね、高まってきた欲望を愛の行為に置き変えようとした瞬間、廊下から佐々木の二人を呼ぶ声が飛び込んできたのだった。
返事をしながら、黒瀬の頭の中に浮かんだのは、自分達を呼んでいるここの主と、呼びにきた佐々木が脚力の強そうな馬に蹴れ二人揃ってボロボロになっている様だった。

 
組長って言うぐらいだから、威厳満ち溢れた怖そうな人が待っているんだろうか? 
初老で、恰幅がいいんだろうな。
指全部あるのかな? 
そういうのって、下っ端だけだっけ? 
刺青はあるかも……。
あ、服着てたら見えないか…。
潤の頭の中ではこれから対面する「組長」に対する想像が渦巻いていた。
任侠映画のイメージしか出てこない。
実際、そういった肩書きの人とは出会ったことはない。
その下の下のチンピラクラスなら、街を歩けば目にすることも多いが、TOPの方々との出会いは普通の大学生の潤にはなかった。
佐々木の先導で黒瀬と共に潤は組長が待つという母屋の部屋に向かう。
段々と、緊張してくるのが分かる。
黒瀬と手を繋いでいるのだが、その掌がじっとりと湿ってきた。

「お連れしました。さあどうぞ」
 
佐々木が腰を落として障子を開け、自分は廊下に残ったまま二人を部屋の中へ通した。

「し、失礼しますっ」
 
黒瀬は無言で、潤は上ずった声を発して、部屋の中に入った。
中央に床の間があり、その前に三〇代前半ぐらいの着流し姿の男性が座っており、部屋の左手の襖前に、見慣れた顔が座っていた。

「なんだ、時枝もいたの」
「はい、私も呼ばれましたので。先にお小言を喰らいました」
「ふ~ん、それで目の下隈なんだ。可哀想に、苛められてたんだ……」

それをあなたがいいますか? 
この隈はあなたとその雄花のせいですけど?
時枝が胸の裡だけで反論していた。
もちろん、表情は崩さない。だけど、疲れが尋常でないことは、誰の目にも明かだった。

「まあ、二人とも立ってないでお座り」

座敷の中央に二つ既に座布団が並べられており、そこが潤と黒瀬の位置らしい。
潤はいつ組長が現れるのかと、さらに緊張していた。正座をすると、黒瀬の服を引っ張り、こそっと耳打ちをした。

「組長さん、直ぐ来るのかな?」
「潤、何言ってるの?」

普通の声量で黒瀬が聞き直した。

「シッ、だから、組長さんだよ」
「いるじゃない? 潤、目が悪くなったの? 目の前に座っているじゃない。アレが組長だよ」
 
黒瀬が真正面に鎮座している三〇代前半にしか見えない男を指さした。

「えぇええっ?」
 
あまりにも潤の想像していた組長像と違った組長に、潤が驚きの声をあげた。

「二人とも、組長の前ですよ。行儀良くして下さい」
 
時枝の声に、自分の失態を潤は恥じた。

「失礼しましたっ!」
 
潤が赤面して詫びた。