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「面白いのを拾ってきたね、武史」
「兄さんでも、潤に対して失礼な言動は許さないよ?」

兄さん?  今、兄さんって黒瀬言わなかった?

「ごめんごめん。武史怒るな。市ノ瀬君、私が桐生組の五代目組長、桐生勇一(きりゅうゆういち)だ。そして、君の横にいる黒瀬の実兄だ」
「お兄さん? 黒瀬のですか?」

その若い風貌で組長というだけでも驚愕していたのに、その組長が黒瀬の兄という事実に、潤は横に座る黒瀬と前に座る組長の顔を、失礼を承知の上でマジマジと、見比べてしまった。
和もの対洋もの。
対照的な雰囲気を醸し出している二人が兄弟?
緩いウェーブの掛かった色素の抜けたロン毛を後ろで結っている黒瀬は、鼻筋が通ったスッとした顔立ちで、着物よりはスーツだと思う。 一方、目の前の男は短髪で真っ黒の髪、鼻もまあ一般的な高さで、眼鏡を外した時枝を少し精悍にしたような印象がある。
ただ、よく見比べてみると、確かに似ている箇所もあった。
目だ。
二人とも切れ長な目をしている。
形も似ている。
顔全体の造りがあまりに違うので、パッと見、似ていることに気が付かなかった

「潤、驚いた? あまり似てないだろ? 母親が違うからね。一応、ここが私の育った家だけど」
「――名前が、姓が違う」

潤の疑問に目の前の男が答えた。

「武史も、昔は桐生武史だったのだが、独立するときに、籍を抜いたからね。黒瀬は武史の母親の実家の姓だ」
「そうだったんですか…」
「だから、私は暴力団組員ではないから安心して。でも、ここが私の実家だし、組長はこの兄だし、まあ、その他諸々あるから、堅気と言い切れないけども」
「その辺は大丈夫だって、言っただろ?」

とは言ったものの、潤は正直少しホッとした。
やはり、ヤクザの世界にいい印象は持ってない。
そこに自分もどっぷり浸かるにはかなりの覚悟が必要だと思っていた。

「そろそろ、本題に入っていいかな?」
「どうぞ、でも手短に。潤も私も疲れているんですから。早く解放して下さい。ゆっくり風呂に浸かりたいものだ、ね、潤」

黒瀬にふられて返事に困る潤だった。
黒瀬の兄とはいえ、目の前にいる人は組のTOPで、そんな人に早く解放してくれとは、恐れ多くて言えるはずもなく……

「ばか、俺にふるなよっ」

と黒瀬の脇腹を突いた。

「怪我の具合はどうだ? 精密検査は受けたのか? あまり無茶するな、武史。もしお前に何かあったら、戦争になる。うちの構成員も黙っちゃいないだろうし、香港も物騒なことを仕掛けるだろうし」

そうだよ、死んでいたかもしれないんだ。 俺のせいで……

「心配掛けちゃったかな? 大丈夫ですよ。怪我は額だけだし、脳波も正常だったし。もしかして、それでいつもより大人数を空港によこしたのですか?」
「あれは、奴らが勝手に行ったんだ。お前のことが心配だったのと、噂の市ノ瀬君を一目見たかったんじゃないのか? 俺が命じたのは佐々木だけだったがな」

『噂の』って、どんな?

「社長はここのアイドルですから、事故に遭われたと聞いて、皆心配だったのではありませんか? 自分たちのアイドルが気に入ったという市ノ瀬さまも気になってたんじゃないですか? いつまでたっても、社長は彼らにしてみたら、可愛いボンなんですよ。はぁ…、一体あなたのどこが可愛いのやら……」

静観していた時枝が割って入る。
言葉に刺が含まれているのは、限界値まできている疲れのせいだろう。

「そりゃ、全てじゃない? 時枝と違って俺は愛されるキャラだから。時枝嫉妬?」
「もうその辺にしとけや」

放っておくと延々と続きそうな二人の応戦を黒瀬の兄が遮った。

「二人とも、相変わらずだな。それより大事な話が先だ。えっと、市ノ瀬君、付いてるんだよね?」

付いてる?
自分にふられた質問の意味が分からず、きょとんとした潤に、再度黒瀬の兄が問う。

「身体の中心に、ちゃんと玉二つぶら下げているのか訊いてるんだ。正真正銘の男かってこと」
「はい?」

性別を確認されてるのか!?
俺が女に見えるとでもいいたいのか?
組長だかなんだか知らないけど、こいつはバカか????
どう見ても、俺は男だろうが! あっけにとられて、答える代わりに、素っ頓狂な声を潤はあげていた。
潤の代わりに黒瀬が口を開いた。

「兄さん、先程、言いましたよね? 潤に対して失礼な言動は許しませんよ。どう見ても、可憐な雄花じゃないですか。ちゃんと付いていることは、私がこの目で確認済みですから、変な詮索はしないで下さい。雌花じゃなく雄花です」

冷ややかな視線を目の前にいる自分の兄に向け、黒瀬が言い放つ。
だが、兄も負けてはなかった。

「お前に訊いてない。俺は市ノ瀬君に尋ねてるんだ。ちゃんと付いているのか?」

是が非でも、潤の口から答えさせたいようだ。

「付いています! 竿も玉も全て付いてますが? 俺が女に見えるとでも言うつもりですか? 見たいですか?」

腹の立つ質問に、相手が組長だと言うことも忘れ、潤は食って掛かった。

「見たい」

定すると思いきや、黒瀬の兄は潤を挑発するように肯定した。

「兄さんっ!」
「組長っ!」

間髪入れずに黒瀬と時枝の声が上がった。
潤は立ち上がり、ジーンズのボタンを外し、ファスナーを一気に降ろした。

「潤、やめなさい!」

黒瀬が潤の手を掴み、それ以上先の行動を制止した。

「兄さん、そんなに俺を怒らせたい?」

般若を思わせる形相で、黒瀬は自分の兄を睨んだ。

「ははっ、これはいい。根性が据わっている。市ノ瀬君、悪かった。冗談だ」

冗談ってなんだよ。笑って済ませる気か?
憤然たる面持ちのまま、潤はファスナーを上げ、座り直した。

「では、男の市ノ瀬君に尋ねるが、君はもともとゲイか?」
「違います」
「じゃあ、武史が初めての男か?」
「はい、そうです」
「男の君が男の武史と付き合うことに少しの躊躇いや抵抗はないのか? 同性だぞ?」
「ありません。好きですから」

潤は自分を試されている気がしていた。

「そうか、好きか。こいつのこと、怖くないのか? まだまだ、君の知らない顔があると思うが?」
「知り合って短いですが、その間に憎んだことも怖いと思ったこともあります。でも、そういう感情があったから、俺は自分に大事なものが判った。どんな顔を持っていても、俺は俺に対する黒瀬の顔を真実と思ってますから」
「…潤」

潤の熱弁に、横の黒瀬の顔が緩む。

「お前が、そんな優しい顔が出来るとは知らなかったよ、武史。お前にも訊こうかと思ったが、その目がお前の真実か」

兄、勇一は、黒瀬の変化に正直ショックを受けていた。
自分を含め、誰一人として、今まで黒瀬にこんな柔和な表情をさせた者はいない。
笑っていても、いつもその目は鋭く、誰に対しても警戒心と敵対心が出ていた。
ヤクザの自分より、深い闇の中で生きている弟だった。
そんな弟を昔から影でいつも心配していた。
時枝から、黒瀬が本気で他人に惚れたらしいという報告が入った時も、「まさか」と、最初は半信半疑だった。
相手が男だということよりも、恋愛感情をこの弟が他人に抱いたということが、信じられなかった。
しかし、帰国を遅らせた理由が惚れた相手の為と聞き、事実なのかと認めざるを得なかった。
そして、今、弟の変化を目の当たりにして、この青年が与えた影響の大きさを嬉しく思う反面、身内として少し寂しさを感じていた。

「お互い、本気だということか。そうか、ならいい。じゃあ、市ノ瀬君を武史の恋人ということで、彼に何かあれば、武史同様、桐生組と、香港(あちら)を敵に回すということでいいんだな?」
「はい、兄さん」
「お疲れのところ、悪かったな。市ノ瀬君と話せて楽しかった。はは、見損なったけどな、それは別の機会にでも、堪能させてもらうかな?」「兄さん!」
「おお、こわっ。さあ、もう行きなさい。食事も運ばせるから、今日は二人っきりでゆっくりするがいい」

やっと解放されるとあって、潤は芯から嬉しかった。
緊張が解かれ、これから二人の時間かと心が軽くなるのを覚えた。

「さぁ潤、行くよ」
「失礼します」

潤と黒瀬は手を繋ぎ、二人仲良く退席した。