「待ちくたびれたよ」
やっと来たかと黒瀬がガウン姿で時枝を出迎えた。
ベッドから起き上がれずにいるのか潤の姿はない。
「はい、頼まれた物です。日本に帰って来て早々、薬局とアダルトショップに行かされるとは、思いませんでしたよ。しかも、午前中から」
渡された手提げ袋大小の中身を黒瀬が確認する。
「全部あるね。良し」
目を細める黒瀬の横で時枝がウンザリした表情を浮かべている。
「他におっしゃりたいことは無いのですか? 人に迷惑かけて」
「誰に迷惑かけた?」
「佐々木さんに決まっているでしょ」
「あ、無事か? 生きてる?」
「当たり前です
」「ふうん、なら別に問題ないじゃない。だいたい、佐々木に迷惑をかけたのは俺じゃなく時枝だよ。俺に断りもなく勝手にいなくなるから、頼む相手が佐々木になっただけじゃないか。ちゃんと謝っておいた方がいいんじゃない?」
勇一といい、この男といい、論点をすり替えさせたら、右に出るモノはいないんじゃないのか?
血は半分しか繋がってない兄弟なのに、何で扱いづらいところだけ、こうも似ているんだろう。
桐生のDNAなのだろうか?
「はいはい、私が悪いのですね。佐々木さんには土下座をしておきます」
きつい口調で返答した時枝の口から、いつもの深い溜息が漏れる。
「はぁ…」
「幸せが逃げるよ」
「いいんです。逃げて困るような幸せは当分私には縁がなさそうですから」
「ふうん、その割には、今日は何か艶っぽいけどね」
見てないようで観察眼するどい黒瀬は、いつもと同じような小言を述べる時枝の僅かな変化も見逃さない。
瞬間、時枝の黒目が泳いだ。
脳裏に勇一との情事が浮かび表情が崩れそうだったが、そこはグッと我慢して、仮面を被る。
「何を馬鹿なことを。他に用事がないのなら、一旦自室に戻りますが。荷物の整理もしたいですし」
時枝もこのマンションに部屋を所有している。
黒瀬の部屋の一階下のフロアーだが、黒瀬とちがって階全部を占有しているわけではない。
階の半分が、時枝個人の部屋で、残りの部屋が表向き社長室分室として、裏の仕事(盗品売買)の事務所となっていた。
「悪いが、食事の用意を頼む。潤も俺も腹ぺこなんだ」
「承知しました。食材は揃ってますか?」
「いや、留守にしてたから冷凍ものしかない」
「では、持って来させましょう。用意が出来たらお呼びします。寝室ですよね?」
「よろしく」
ではと、時枝はキッチンへ向かい、黒瀬は時枝から渡された大小の紙袋を持ち、潤の待つ寝室へと向かった。
「時枝さん来たの?」
「食事の用意を頼んだから」
「俺も、少しなら作れるけど…」
イギリスにいたときとは事情が違うので、自分達の食事を時枝に用意させることに、心苦しいような抵抗感が潤にはあった。
その中には、何でも完璧にこなす時枝への羨望と軽い嫉妬も含まれていた。
「じゃあ、潤が起きても大丈夫になったら、何か作ってもらおうかな? 一緒に作るのも楽しそうだし」
黒瀬と一緒にキッチンに立つ姿を想像して、潤の心が躍る。
黒瀬は黒瀬で、裸の潤がエプロンだけを着けて調理する姿を想像して、『悪くない』と口元を綻ばせていた。