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「社長、食事の用意が整いました」

寝室には入らず、外から時枝が知らせる。

「今行く」 

まさか裸のまま潤を食卓に着かせるわけにもいかず、潤にガウンを羽織らせる。

「ふふ、可愛い」 

自分のガウンは潤にはサイズが大きいので、子どもが大人なのシャツを身にまとったみたいなダブダブ感がある。
それが黒瀬の目には可愛いと映る。

「だから、俺は男だって…。可愛いはないと思うぞ? そんなこと時枝さんの前で言うなよ。バカにされたら嫌だからな」 

はいはいと、軽く流し、黒瀬は潤を抱き上げる。
そのまま寝室を出て、ダイニングルームへ向かった。

「時枝、悪いけど、寝室からクッション持ってきて」 

黒瀬に抱きかかえられた潤と、黒瀬の顔に交互に視線を移し、ヤレヤレと呆れ顔の時枝が寝室に向かった。

「時枝さん、機嫌悪そう…」
「気のせいだよ。というか、機嫌の良い時枝を潤は知ってるの? 見たことある?」 

そう言われてみれば、ない。 
笑顔の素敵な時枝さん!というイメージはない。 
想像しかけてブルッと何故が悪寒が走った。 
似合わない。笑顔が似合わない。 
人を小馬鹿にしたような笑いは時枝そのもので似合うが、楽しくて嬉しくてに朗らかな機嫌の良い時枝の顔は想像できなかった。

「…ない…かも」
「だろ? 機嫌が悪いのが普通だから。機嫌の良い時枝を知っているのは兄さんぐらいじゃない。あの二人の付き合いは古いから」
「組長さん? 仲いいんだ。同席したときはえらく他人行儀だったけど」
「一応、お互いの立場はわきまえているようだけど。プライベートでは友人だから」
「へえ、大人の世界だ」 

まだ大学生の潤には、その辺がよく分からない。 
本音と建前の使い分けができて社会人なんだろうなと思う。
普通の会社でもそれは必要なのだろうが、ヤクザの世界や、黒瀬の裏の部分では最も要求される事なのかもしれない。 
そんな器用なことが自分には出来るだろうか?  
感情のまま突っ走る傾向にあると潤は自分でも自覚していた。

「潤はこのままでいいんだよ」 

黒瀬が潤の頭を覗いたようなことを口にする。

「うん。でも、少しは大人にならないとな…。黒瀬の横にずっといたいから。勉強も…色々頑張る」 

仕事面での力にもなれる人間に成長したいし、性的な部分も頑張って黒瀬に悦んでもらえる自分でありたいと思う。
そんなことを思っていたら、頬が赤くなった。

「潤、顔が赤い。何考えてたの?」 

指摘されて、益々赤くなる。 
別に何にも…と言い掛けたとき、寝室から時枝の声が轟いた。

「何なんですかっ、これは!!!!」 

時枝が右脇にドーナツ型クッションを抱え、左手でシーツを掴み、それを引き摺りながら潤と黒瀬のところまで恐ろしい形相でやってきた。

「あなた達、一体何をしていたんですか?」  

手に持っていたシーツを二人の前に突きだした。

「何って、そんなの決まっているだろ。恋人同士の甘い営みだよ。今更、聞くなんて、時枝頭おかしくなった?」 

クッションを椅子に乱暴に置いた時枝が、両手でシーツをぱっと広げてみせる。

「あなた達、もう恋人同士なんですよね!? なのに、また強姦でもしたんですか? どうしたら、こんな夥しい血痕が残るんですか? シーツだけじゃなくて、その下のベッドパットにまで染みてますよ。一体、何をしたんです!」 

寝室にクッションを取りに行った時枝が目にした物は、まだ茶に変色しきれてない赤黒い血痕が飛び散ったシーツだった。
点点とした僅かなものではなく、それは血が明らかに流れ落ちたような痕だった。 
ドーナツ型クッションと薬がメモにあった段階で、『犯りすぎで切れたな』とは思っていた。
が、黒瀬が初めて潤をレイプした時より酷い有様に、時枝は卒倒しそうになった。 
別に血に慣れてないわけではない。 
ヤクザや裏社会に関係して生きている男だ。 
しかし恋人同士の寝室で多量の血痕の付着したシーツを目にするとは想定してなかったのだ。

「何って言われてもねぇ」 

別に悪びれた風もなく、黒瀬が腕の中の潤に甘い視線を送る。
それに応えるように、潤も黒瀬を見つめる。 
その甘いムードが、時枝の神経を逆なでた。 
何なんだ、この二人は。
これだけ血を流して、ナニ、ハートマークまき散らしてるんだ!  プレイか?  
恋人同士になったとたん、今度は過激なプレイに興じているっていうのか?

 「私に生理が始まったおっしゃいましたが、市ノ瀬さまに初潮が訪れたとか? 強姦でもなくて、生理でもないのなら、こんなに血がシーツに付着するはずないでしょ!」 

はぁ、はぁ、と息切れさせながら、時枝が一気に捲し立てた。

「酷いな、時枝さん。あまり、そう血、血言うなよ。黒瀬が気にするだろ? 俺がせがんだ結果なんだよ。解されるの、待てなかったの」「だからといって、限度ってものがあるでしょ!」
「うん、だから、もうこれからはちゃんとするから。落ち着いてよ。でも、時枝さんもわけわかんね」
「は?」
「だってそうだろ? レイプの手伝いするような人間が、たかがシーツに付いた血ぐらいで目くじらたてなくても…、な、黒瀬、そう思わね? 流した俺が何とも思ってないのに」 

俺だって嫌味の一つぐらいは返せるんだ、と潤は時枝に自ら応戦した。

「ふふ、そうだね。時枝もそのうち血を流すようなセックスを経験するかも知れないし、まあその時になれば潤の気持ちも解るかもしれないね。男には興味ないらしいけど、意外と雄花として、誰かに興味持たれてるかも知れないし。案外身近にいたりして」
「え、そうなの?」 

潤が目を輝かせる。 
自分の恋愛には疎かったが、他人の恋愛話は興味がある。
しかも、この時枝の相手となると、その度合いが強まった。

「何を馬鹿なことを言っているのですか! そんなアホな人間がいるはずないでしょ。第一私は…」
「ババコンだったね。ごめんごめん、忘れていたよ」 

時枝が、それ以上何も言うなと黒瀬をギッと睨みつけた。

「ババコン?」 

潤がキョトンとしているが、それ以上二人は続ける気はなさそうだ。

「もう、時枝が勝手に興奮するから、料理が冷めてしまいそうだ。食事にしよう」 

黒瀬が潤をクッションの置かれた椅子に降ろす。

「時枝、折角シーツ剥いだのだから、それ洗濯頼むね。クリーニングに出すと、通報されそうだし」
「え、俺が洗うよ?」 

自分たちが汚したものの始末を頼むのは嫌だった。

「潤は、まず身体だろ? 傷が治って、痛みが取れたら、そのときは頼むよ」
「はぁ、普通の生活に支障をきたすセックスをする恋人達が一体どこにいるって言うのですか……」 

このバカップルが…と時枝は心の中で続けた。

「あっ、」 

突然、時枝が叫び声を上げた。

「あなた達、まさか、本宅の離れの寝具も血だらけって事は…ないですよね?」
「あるよ。そこまで酷くはないと思うけど。そのままにしてきたから」 

平然と黒瀬が答えた。 
組員の誰かが目にしたかと思うと、時枝を偏頭痛が襲った。離れの状態をチェックしてから本宅を離れるんだった。
処女を連れ込んで悪戯したような痕跡を見て、問題にならなければいいが……

「顔色が悪いよ。食事が終わったら呼ぶ。自分の部屋に下がってていい」
「分かりました。ごゆっくりどうぞ。その間にベッドパットを替え、新しいシーツを敷いて、コレを洗濯しておきます」 

ぐしゃぐしゃにシーツを丸め、時枝は二人の前から去っていった。