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「佐々木、二人を起こしてこい! いくら何でも遅すぎだ」
 
桐生組、組長の勇一の声が、母屋に響き渡る。
まだ朝の八時だというのに、この男には遅いらしい。
時枝と同じ年のくせに、起床が早朝の五時だという、はた迷惑な男なのだ。
上下関係の厳しい世界、下の者までそれに合わせた生活を強いられる。
外に別に居を構えている奴らはまだマシだが、この桐生の敷地内で共に生活をしている佐々木以下数名は、組長よりも早く起きねばと、クラブ遊びも儘ならないでいた。
滅多に会えぬ弟と、朝食ぐらいは共にと勇一は思っていたのだが、一向に起きてくる気配がない。
六時に一度様子を見にやらしたのだが、「寝てるようです」という報告に、疲れているのを起こすのは可哀想だと、そのときは退いた。
しかし、いつも朝食を六時にとる男にはもう待てないほど、腹が空いていた。

「お前も、起きろっ! いつまで寝てる気だ!」
 
勇一は、身支度を整えた自分の横で、自分が着せた浴衣に身を包んで、気持ちよさげに寝ている時枝の頭をベシっと叩いた。

「何するんですか、社長! ……あれ? 勇一???」
 
やっと目覚めた時枝に、勇一の悪戯心が芽生えた。

「お早う、勝貴。一晩楽しませてもらった。身体大丈夫か? どこも痛くはないか?」
「…」
「初めてだよな。優しくしたが、痛むか?」
「…おまえ、俺に何をしたんだ…ま、さか…」 
 
落ち着け、落ち着くんだ! と自分自身に言い聞かせ、まさかこいつとどうにかなるなんてことあるわけない、と思いつつ、でも勇一の発した言葉で、ないはずの可能性が時枝の頭を駆けめぐった。
慌てて、自分の身体を見る。
着ていたはずのワイシャツとズボンの替わりに男物の浴衣を着ている。

「俺もまさか、勝貴とこうなるとは思わなかった…言っとくが、無理やりじゃないぞ?」
「合意だと言いたいのか?」
「それは無理だ。お前意識なかったからな」
「そういうのを無理矢理だって言うんだ! この薄らトンカチが! 人のケツで遊んでるんじゃねぇぞ! お前とはもう絶交だっ!」 
 
冷静に考えることもせず、勇一の言葉を鵜呑みにした時枝は、長年付き合ってきた友人との決別を瞬時に決め込んだ。

「ぷっ、絶交って。あぁあ、腹いてぇ…」
 
真剣に怒っている時枝の前で、勇一が腹を抱えて笑い出した。

「お前は、中学のガキかっ…あぁ…これだから、冗談の通じない男は……、つうか、一人で勘違いしてねぇ?」
「…冗談なのか?」
「誰が、お前のケツで遊んでるって? はあ、おもしれぇ。俺はお前の寝顔を楽しんだだけだぜ。アホ面して寝てるからさ。時々、寝言で武史にお小言いってるし。久しぶりの畳にだったんだろ? ベッドじゃないから、身体が痛くなかったか?って」
 
やっと自分が勇一にからかわれていることを自覚した。

「…初めてだよな…とか訳判らないことぬかしやがってっ」
 
時枝の拳が勇一めがけて飛んだ。

「おっと、これでも組を率いている男だぜ。そう易々殴られるかっていうんだ」
 
あたる寸前で避けられた。

「あれはな、俺の前で気を失ったのが初めてだよなっていう意味だ。はは、優しくは『した』けどな。お前を着替えさせるの、楽しかったし、ちゃんと優しく寝かしつけたが?」
「お前、性格悪い。やっぱり、絶交だ!」
「誰がお前と絶交なんかしてやるかっ。ば~か、こんな面白いヤツ、他にいるかっ!」
 
勇一は黒瀬以上に普段厳しい世界に身を置いている。
十代の頃からの友人、時枝といる時だけが地をさらけ出してリラックスできる貴重な時間なのだ。

「なら、俺がその性格叩き直してやる!」
 
桐生組の幹部が訊いたら、卒倒そうな言葉を遠慮もなく勇一に投げつける時枝だった。

「あの…、お取り込み中申し訳ございませんが…、離れのお二人とご一緒の朝食は諦められたほうが…利口かと…」
 
部屋の外から、佐々木の歯切れの悪い声が時枝と勇一のやりとりに割って入ってきた。
ええん、と勇一が咳払いをし、ガキの口調から低音の大人の口調に戻る。

「どういうことだ? 俺は起こしてこいと命じたんだ。起こせなかったとでもいうつもりか、佐々木?」

佐々木の報告で、自分が空腹だったということを勇一は思い出し、機嫌が悪くなる。
大の大人が寝ている人間を起こすこともできないというつもりか?

「それが、ですね…、お二人とももう既に起きてることは起きてるんですが……、その………」
 
すっかり恐縮してしまった佐々木が、次の言葉を吐き出せずにいた。

「なんだ? はっきりしろや」
「佐々木さん、私が代わりに言ってさしあげましょうか? 見に行かなくてもあの二人の事は判りますから」
 
時枝の口調も元に戻っている。

「時枝、言え」
「ヤってるんですよ。そうですよね、佐々木さん」
「…はい…」
「組長の可愛い弟君と、その恋人は、朝から盛ってるんですよ。ま、セックスしているってことですよ。あの二人、覚えたての猿と一緒ですから」
「朝からか? 朝食も取らずにか?」
 
まさか、そんな報告が来るとは思ってもいなかった勇一はガックリと肩を落とす。
引き剥がして無理矢理食卓に付けるわけにもいかないだろう。

「組長は、相変わらず弟想いなんですね」
 
このブラコンめが! という気持ちを丁寧な言葉に置き換え、勇一に向けた。 
先程の仕返しというわけではないのだろうが、時枝の目が『ざまあみろ!』と、意地悪く光っていた。

「いいじゃありませんか。私と楽しく朝食をいただきましょう。佐々木さん、ご苦労さまでした」
 
時枝は佐々木を追い返し、さあ、今からこの友をチクチク攻撃しようと一人テンションを上げていた。