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「ここに来るのも久しぶりだな。で、話しって何だ?」

ドサッと革張りのソファに身を沈める時枝は、先程までと同じ人物とは思えぬ態度だ。

「えらく地に戻るのが早いな。いつもは二人っきりになっても、十分ぐらいはお前の口調は慇懃だけどな。この二重人格者め」
「いいだろ、別に。久しぶりにおたくの弟から解放されてるんだ。しかも誰かさんの配慮で有り難いことに性欲処理までさせてもらって、身体が軽い」「なんだ、喜んでんじゃないか。さっきは怖い顔してたくせに。ブランディでいいか?」「ああ、任せる」

普段、人に世話を焼かせている勇一が、時枝の為に甲斐甲斐しく酒とつまみを用意し、時枝はソファでふんぞり返っていた。
今の勇一の姿に、桐生組を背負う組長としての威厳は微塵も感じられない。

「はい、乾杯」 

一が時枝にグラスを渡し、自分のグラスを傾けた。

「何にだ? ルミちゃんのテクにか?」
「勝貴、そんなに楽しんだのか?」
「勇一、いつもルミちゃんか? お前好みのケツしていた」「なんだ、それ。俺の好みのケツって。まあ、うちの店のナンバーワンだから時々様子見がてら、遊んでもらってはいるが」 

時枝がグラスに口を付ける。

「勇一と俺はルミちゃん挟んで兄弟ってことか? チェッ」
「チェッ、って何だ? 喜べ。光栄だろが。それより、お前あいつらのこと、正直どう思っているんだ?」 

俺も座らせろと、時枝の横に勇一が腰を降ろす。

「あいつらって、社長…、お前の可愛い武史と市ノ瀬のことか?」 

時枝が一人グラスを進めている。 
解放感からか、それとも酒が高級だからか、今日はいつもより酒が美味く、ピッチが速い。

「そうだ。勝貴、側にいて止めるどころか、キューピットだったんだってな。キューピット勝貴か…なんとなく語呂もいい」
時枝が、口に含んでいたブランデーをブッと吹き出した。

「きったねぇな。自分で昨日言ったんだろうが、――ほら拭け」 

勇一がローテーブルの上に置かれていたテッシュの箱を時枝に投げつけた。
時枝は顔と服に飛び散ったブランディを拭いながら、昨夜興奮して口走ったことを後悔した。
……こいつにからかうネタを提供すべきじゃ、なかった…

「わかるだろ…、昨日は疲れてたんだ。二度とその言葉口にするな!」
「その言葉って、どれだ?」「そういうすっとぼけたとこは、兄弟本当によく似てるよ。もっとも武史の方が上をいくけど」
「おいおい、武史の悪口はいうな。あれがああなったのは……お前も判っているはずだ」  

ぐいっと、勇一もブランディを飲み干すと、自分のグラスと時枝のグラスにまたブランディを注ぎ足した。

「相変わらずのブラコンぶりに、乾杯。別に悪口は言ってない。事実だ。武史の方が勇一の数倍色々とヤバイ。だから…、本題に戻るが、俺はあの二人のことは認めている。そりゃ、武史にすれば最初はいつもの遊びの範疇だったんだろうが…。ちょっと訊くが、」
「何だ?」
「勇一、お前武史に手をあげられるか? 頭にきたからって、殴れないよな?」
「当たり前だろ。武史だぞ? …負い目もあるし」
「桐生組の中に一人でも殴れるやついるか? いないよな? 冷徹で冷酷、倍返しは当たり前、ヤクザより怖い一面を持つ武史に、手をあげるどころか、意見さえ出来ないよな?」
「あぁ、率直にあいつに物が言えるのは勝貴だけだ」 

兄の自分でも遠慮している部分と、何を考えているか判らない弟を怖いと思ってしまうことがある。

「俺は意見はする。忠告もする。だが、やはりお前と一緒だ。手はあげられない。勇一は負い目からだけど、俺は同情からだ…」
「あいつを殴ろうとするヤツがいるわけがない。百歩譲って仮にそういうヤツがいたとして、武史なら殴られる前に、相手がボコだろ」 

何を今更なことを訊いてくるんだと、勇一は勝貴に視線を投げた。 
時枝がまたグラスを飲み干すと、空のグラスをさっさと注げと言わんばかりに、勇一の前に置いた。

 「いるんだよ。一人だけ。もう判るだろ?」
「…市ノ瀬か」
「ああ。躊躇なく、平手をビシッと。彼は俺も殴ろうとしたから、殴るのに俺と武史の差はない。同じ人間として、武史を見ている。どんな裏があろうと、特別視をしている訳ではない」 

二人グラスにまた勇一がブランディを注ぎ、二人一緒にぐいっと空けた。 
二人とも、肩を落としてガックリした様子だ。

「俺たちは市ノ瀬に完敗というわけだ。娘を嫁に出した父親の心境だ」
「何を言ってるんだか、このブラコン兄貴が…、まあ、判る」「昨日、武史の目を見たときから、既に敗北感はあったさ。上っ面だけじゃなく芯からの優しい表情してた」
「ああ。俺は最初、あれはただの執着だと思っていた。毛色の変わった玩具に興味を持っただけだと。でも違った。それを手放そうとしたんだからな。あの武史が、自分を抑えて、他人の為に動こうとした。本物だろう。市ノ瀬には気の毒だけど、こっち側に来てもらうしかない」「まだ、大学生だったな。勝貴、お前キューピットなんだから、責任もって世話しろ。あと報告も逐一しろよ」 

時枝のこめかみがピクッと動いた。