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「勇一、お前、殴られるのと、蹴られるのどっちが好きか? 選べ!」
「何怒ってる?」
「二度と『キューピット』って言うなっ!」
「ははっ、切れるようなことか」
「うるせーっ、酒注げ、酒! それか殴らせろ」
「お前、酒乱か? 酒弱かったか?」
「ぐたぐた言ってないで、さっさ注げ!」

久しぶりのアルコールの摂取に、時枝は酔い始めていた。普段黒瀬の側で抑圧されたものが、アルコールの力を借りて、一気に放出していた。
そんな友人の変わりようが面白く、勇一はニヤついている。

「ほら、注ぐから、少し大人しくしろ。おっと、それを飲むのはちょっと待て。まだ話しが済んでない」
「飲ませない気か」

ジロッと、時枝が勇一を睨み付ける。
もう既に目が据わっていた。

「おい、まだ脳みそ働いているんだろうな? 青龍のことだ」

青龍、通称ブルーは香港マフィアの一つだ。
イギリスでの潤の拉致や潤を狙ったひき逃げの背後にいたのが、彼らだ。
黒瀬と時枝の裏の仕事、盗品の売買で、黒瀬達にいつも煮え湯を飲まされていたブルーが、潤を黒瀬の弱点として、仕掛けてきたのだ。青龍(ブルー)と聞いて、時枝が話を聞く気になったらしい。
続けろと、勇一に促した。

「お前達、まだ手を下してはないだろ?」
「まだだ」
「もう緑龍が動いた。武史を跳ねたやつはあの世だし、青龍(ブルー)の幹部が一人行方不明だ。市ノ瀬を拉致するぐらいじゃ、動かないだろうが、武史を危険に晒したのはまずかったな」

緑龍は青龍のその上の組織にあたる。残忍さでは青龍の比ではなない。
黒瀬と緑龍、通称グリーンが懇意にしていることは、青龍も薄々勘づいてはいるが、実際の関係は知られてなかった。

「早いな。あの方の怒りを買ったということか?」
「武史が轢かれたという知らせはその日のうちに香港にも届いてたようだ。逆鱗に触れたらしい。あの美しく優しい人は、息子のこととなると鬼になる」
「勇一、顔が赤いぞ。あの方は愛情が深いだけだ。幼い息子を置き去りにし、その結果あんなことが起こってしまったことで、御自分を責めておられるんだ。鬼とかいうな」

はあっと、珍しく勇一が深い溜息をつく。
その目はどこか遠くを見ているようだ。

「あんな綺麗で優しい聖母のような人が、武史の地獄を見せた原因だということが、皮肉だな」
「…ああ。俺たちの初恋の相手は、美貌が故に罪を作った。勇一、彼女は市ノ瀬を認めると思うか?」
「認めてるだろ。もう知ってはいるはずだ。何も言ってこないのは、認めている証拠だ。例え気に入らなくても、武史のお気に入りを消したりはしない。武史が悲しむようなことは、しない。気に入らなくても、応援するだろ」「だな…」

時枝がグラスに手を伸ばした。が、まだ話しは終わってないと、勇一がグラスを取り上げた。

「青龍(ブルー)の事は、お前達の仕事絡みのことだ。本来俺たちや緑龍(グリーン)が手を下すことではなかったのだが、もう遅い。幹部が一人行方不明で、中がごたついているらしい。緑龍(グリーン)が潰しにかかるだろう。窮鼠猫を噛むということもある。お前達も報復を考えているんだろうが、今は時期が悪い。しばらく様子をみてろ。武史に動かせるな。これは桐生組組長としての命令だ。わかったか、この酔っぱらい。さあ、もういいぞ。飲め」
「はいはい。組長の命令とあっては、動くわけにはいきませんね。ただし、私の上司はあなたではなく、社長ですけど」

勇一に組長面されたので、時枝はわざと慇懃に返した。

「止めろ、そのしゃべり。肩が凝る。話しはココまでだ。さあ、楽しもうぜ。好きなだけ飲め。潰れたら、俺が責任をもって介抱してやる。…それも楽しそうだ」 このままのペースで飲むと、潰れるのも時間の問題だ。潰れたら、何か悪戯してやろうと、時枝の手に戻したグラスに縁(ふち)ギリギリまでブランディーを流し入れた。「だいたいな、お前が全て悪いんだッ…あぁ、勇一を殴ったら、スッキリしそうだっ。面倒なことばかり押しつけやがって…」

時枝の絡み酒の相手をしながら、勇一はその時を待った。