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「佐々木さん、大丈夫? なんか、顔暗かったけど…」

黒瀬と佐々木のやりとりを傍観していた潤が、佐々木を気遣う。

「大丈夫。あれでもヤクザの端くれだから、これぐらい平気。ふふ、それより潤、ここ出るから。私のマンションに連れて行くよ。二人っきりで、過ごそう」

別にここも離れということで悪くはなかったが、黒瀬の部屋で二人っきりで過ごせるということは、潤にも嬉しいことだった。

「うん。…でも…問題が一つ…」
「動けないんだろ? 私が運ぶから潤は心配しなくていい。それより、食事にしよう」

黒瀬が潤の身体を起こし、自分が座椅子のようになり潤の身体を支えた。
運ばれて来た食事は握り飯と卵焼きとお新香とお茶。
それを盆ごと潤の膝に置き、全て黒瀬が潤の口に運んだ。

「手は動くのに…」
「いいじゃない、私に世話をさせて」

過保護だなと思いながらも、潤は黒瀬に世話を焼かれるのが嬉しくて、好きにさせていた。
食事を終えた二人は、本宅を抜け出すべく準備を始めた。といっても、潤は動けないので、黒瀬が一人動いていた。
空港から本宅へ連れてこられてまだ一泊。
解いた荷物はほとんどなく、潤に至っては荷物自体が無いに等しい。
イギリスに持っていった荷物のほとんどはパディントンのホテルに置きっぱなしで、黒瀬と時枝がオークションの際、買い戻してくれた荷物のみで帰国した。
空港に行くとき、悠長に荷物を取りに行くことも出来なかったので、そのままだ。
よって、荷物をまとめる必要はほとんどなかったが、潤を運ぶための準備が必要だった。浴室から湯を張った桶とタオルを持ってきて、潤の身体を清拭した。
その際、後処理の為、タオル巻き付けた黒瀬の指がまだ少し緩んでいた潤の蕾に挿入された。
痛いのか気持ち悪いのか、潤の身体がピクッ、ピクッとしなる。
恥ずかしさもあるのか、枕に顔を埋めて、洩れる声を潤は押し殺していた。
タオルに自分の放したものを含ませるように丁寧に内部を拭うと、今度は薬を裂傷に塗り、最後に鎮痛剤を飲ませた。

「ジーンズは無理じゃない? このまま移動しよう」
「俺、裸で?」
「毛布で包むから問題ない。服着るの大変だよ? 寒くないようにするから」
「…解った。でも、間違っても俺を毛布の中から落とすなよ…全裸を人前に晒すのは勘弁だからな」
「そんなこと、私も勘弁だ。大丈夫、潤の一人や二人、落とさないでちゃんと運ぶから」
「俺、一人しかいないけど…」

言葉のあやだろと、額を軽く小突かれた。
潤の寝ている布団の横に黒瀬が毛布を広げ、潤をごろんと転がした。潤の頭部と腕だけ出し、潤の身体を黒瀬が器用に毛布で包む。

「準備完了。蓑虫潤の出来上がり。ふふ、可愛い…」

可愛いくはない、と思うぞ…、と呟いてはみたものの、黒瀬の満足した顔に、嬉しさを覚える潤だった。

「そろそろ、一時間経つね。じゃあ、出発しようか、蓑虫姫」
「ぷっ、何だよ、それ。蓑虫に姫って変だろ」
「グッドなネーミングじゃない? 『蓑虫のように毛布にくるまれた、私の可愛く可憐なお姫様』って呼びたいのを、ちょっと長いから省略してみました。駄目?」

ひょいと黒瀬が潤を抱き上げた。

「…駄目じゃないけど…姫ってどうかな…俺、男だし、…ん、ま、いっか」
「そういうところが男らしいよね、蓑虫姫」

『男らしい』と『姫』が一緒に並んで使われるのも変だが、男らしいと称されて悪い気はしなかった。

「重くない?」
「大丈夫、落とさないから。心配なら首に腕を回してごらん」

束ねた黒瀬のロン毛の下に腕を回し、潤が黒瀬に掴まる。

「ラブスプーン着けてるんだ。嬉しい」

シャツの胸元の開きから、ラブスプーンが覗いている。
裸の黒瀬の胸元にはラブスプーンはなかった。
だからといって、別に黒瀬の愛情を疑うわけではなかったが、身につけてもらえるとやはり嬉しい。

「昨日風呂に入る前、念の為外してたけど、さっき着替えるときに着けたんだよ。これ木製だから、水とか汗に弱いはず。濡らすとカビが生えるかもしれないし。知り合いの業者に頼んでいつでも着けられるよう、加工してもらおうね」
「ありがと、黒瀬。スプーン、大事に思ってくれてるんだ」
「やだな、潤。当たり前だろ? 潤が私にくれたものだよ?」
「うん、じゃあ俺もこれ…」

毛布の上から左胸に手を置く。

「大事にする…あと、こっちにもな、そのうち装着してくれよ」

左から右へと置かれていた手が移動する。

「いいの?」
「それこそ、当たり前だろ? そのつもりでくれたんだろ?」

返事の代わりに、黒瀬が潤の額にキスをした。

「潤には敵わないね。さあ、行きますか、蓑虫姫」
「荷物は?」
「まずは一番大事なモノから運ばないとね」

ばか、と小さく呟いて、頬を染める潤だった。
潤を抱えた黒瀬が、離れを出る。
佐々木が策を練ったのか、庭に人影はなかった。
別に見られても構わないのだが、見た者達が後々、何故止めなかったと勇一の咎めを受けることになるだろう。
それは代表で留守を預かっているはずの佐々木一人が犠牲になればいいことだと、黒瀬は思っていた。
時枝がいれば別に佐々木を使う気はなかったのだが、いない以上しょうがない。命令に背く訳じゃないと佐々木には言い切った黒瀬だったが、兄、勇一にしてみれば、佐々木の行動は裏切り以外の何物でないと、黒瀬にも判っている。
相手が長年組を支えている佐々木なら、勇一とて、そう酷い仕打ちはしないであろうということは、計算済みだ。
しかし、その下の者となると、親を裏切った子として血の雨が降りそうだ。
自分たちのせいで誰かが犠牲になるのは本意じゃないと、黒瀬の中にも良識が幾分あった。それはこの場合、佐々木の犠牲の上になのだが。
足早に手入れの行き届いた庭園を進む。
裏門まではジャリが敷かれているので多少音が出るのだが、気にする様子もなく黒瀬が歩を進めた。

「どうした?」

黒瀬が急に立ち止まった。

「何でもない」

と言う黒瀬の顔は険しく、庭の奥に見える小屋を見ていた。黒瀬の目に一瞬陰が走ったのを潤は見逃さなかった。

「行こうか、蓑虫姫」

直ぐに表情を元に戻して黒瀬が潤に微笑む。
その小屋が何だったのか訊いてはいけないものだと潤は判断して、無理に微笑みを作った黒瀬に「うん」と頷いた。
門をくぐると、佐々木が待っていた。
空港に迎えに来たときと同じ黒塗りの車が停車しており、後部座席のドア前に立っている。

「さ、どうぞ」

両手が塞がっている黒瀬の為に、佐々木がドアを開ける。黒瀬が前屈みになり、毛布に包まれた潤をゆっくりとシートに降ろす。

「佐々木、悪いが荷物がまだ部屋だ。まとめてあるので、取ってきて」
「承知しました」
「急いでね」

黒瀬の命で、佐々木が離れに走る。
潤の横に黒瀬も乗り込み、佐々木が戻ってくるのを待った。

「ボ、じゃなかった、武史さま、荷物はこれで全部でしょうか?」

戻ってきた佐々木が確認をする。焦って戻って来たのか息が上がっている。

「ああ、全部だ。積んでくれ」

佐々木が荷物をトランクに積み、運転席に座る。
不本意ながらも二人を脱出させる羽目になった佐々木は、この後の展開を思い、緊張しているようだ。十二月だというのに手は汗ばんでいた。
出発したら最後、なんて言い訳すればいいんだ? と、黒瀬の言いつけをこなしながらかなり動揺していた。

「じゃあ、出発しますよ」

自分の迷いを打ち消すような気合いの入った佐々木の合図と共に、潤と黒瀬を乗せた車は桐生組本宅を後にした。